アンザックデー(ANZAC DAY)の象徴、赤いポピーの花が意味するもの。

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前回の「アンザックデーの在住者が知るべき歴史と意味」の記事で「赤のポピー」が登場しました。

【アンザックデー】とは?在住者が知るべき歴史とこの日の意味する事。
オーストラリア在住者として知るべき【ANZAC DAY-アンザックデー】が意味するものを歴史を振り返って説明します。なぜオーストラリア人にとって大事な日なのか、敵国だったトルコとの関係についても語ります。

 

 

ここでは、その背景にある深い意味を紹介します。

読んで下さった後には、感慨深いものがこみ上げてくると思います。
どうぞお付き合い下さい。

何故ポピーの花?

これは、「戦争の記憶」を象徴しています。

第一次世界大戦後、フランス北方やベルギーの戦場後の春に初めて咲いたのがこのポピーの花。それはまるで戦場に消えていった犠牲者の流した血のようでした。

ポピーが象徴となるきっかけとなった人物               

この光景を詩にした人がいます。

その人の名は、John McCrae(ジョン・マクレー)。

その詩のタイトルはIn Flanders Fields(フランダースの野に)として今日までずっと引き継がれています。

 

ジョン・マクレーについて

ジョン・マクレーはカナダ人の詩人でかつ医者でした。
若い頃から「詩」に興味を持ち彼の生涯を通じて書き続けました。

41歳の時、第1次世界対戦が突発。

彼は遠征軍隊に志願しました。この時、彼の年齢やトレーニング歴を考慮して医療団に入ることもできましたが彼は軍隊員を希望し、ボランティアで医療チームをサポートしました。

その背景には彼の父親の存在が大きな影響を与えていました。

父親は軍隊長でそのもとで育ったので、小さい頃から自国のために戦うことが任務であると信じていたのです。

1915年5月2日、ベルギーのフランダース地方にあるイペレーで、 彼の友人がドイツ軍の攻撃により戦死しました。

この時、牧師は他の任務があったため、彼の代わりにジョンマクレー自身がその友人の埋葬を行いました。

これが詩を作るきっかけとなったのです。

友人の埋葬で見たもの                        

友人の埋葬をした「フランダースの野」にはイペレーの戦場に消えていった他の戦士たちのお墓の周りに赤いポピーが広がっていました。

悲惨な戦場地に何とも早く開花した赤いポピーたち。

この光景から彼は友人の埋葬を終えた翌日5月3日に詩を作りました 。イペレー郊外にある前線応急救護局の救急車の後部に座りながら。

ポピーが意味するもの

19世紀のイギリス文学では、ポピーは「眠り」あるいは「忘れ去られた状態 の象徴でした。ところがこの第1次世界対戦によってさらに強い意味が加わりました。

それが「犠牲者たちの流された血」です。

それでは詩「フランダースの野に」を紹介しますが私なりに訳したものです。いろんな詩の英語圏の分析者のサイトを拝見して訳しました。

詩 “フランダースの野に”

フランダースの野にポピーが咲く
墓と墓の間に列をなして
それは我々の土地のしるし
空にはひばりがまだ勇敢にもに口ずさみながら飛んでいる
下方に広がるガンの発射音にかき消されそうになりながらも

我々は死んだ、ほんの数日前に
我々は生きた、倒れた、広がる夕焼けを見た
愛した、そして愛された、そして今我々は横たわる

敵との戦いを再開してくれ
我々の衰えゆく手で君に投げる
そのたいまつを高く掲げてくれ
もし君が死んだ我々の信義を破るなら
我々は眠ることはない、ポピーは育っても

フランダースの野に

In Flanders fields the poppies blow
 Between the crosses, row on row,
 That mark our place; and in the sky
 The larks, still bravely singing, fly
 Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead.   Short days ago
 We lived, felt dawn, saw sunset glow,
  Loved and were loved, and now we lie
  In Flanders fields.

 Take up our quarrel with the foe:
 To you from failing hands we throw
 The torch; be yours to hold it high.
  If ye break faith with us who die
 We shall not sleep, though poppies grow
  In Flanders fields.

引用:In Flanders fields Poem より https://en.wikipedia.org/wiki/In_Flanders_Fields

詩が意味するもの

この頃の詩の多くは「生と死」の間で苦痛を描いたものが多かったと言われています。

この“フランダースの野で”の詩も友人を亡くした悲しみ、戦死した兵士たちの死とまだ続く戦場を背景に書かれたものですが、最後の「敵との戦いを再開してくれ」というフレーズがなかなか私の中で消化できませんでした。

平和を望む今日に引き継がれている詩なのに「戦い続けてくれ」のようなメッセージ?私の訳が間違っているのか?

「take up」は“再開する”“引き受ける”だけど。。。

もしそうなら最後の節の「もし我々の信義を破るなら。。」はどうとらえたらいいのか?

分からなくなってきました。詩だけに理解するにもハードルが高い。

そこで、詩を分析しているサイトを更にいくつか拝見!

専門家の分析はこうだった                     

 

詩のモチーフ(主題)分析

日本でも詩や俳句を作る時に使う「単語の象徴や季語」を考えます。これを理解することで内容が少しずつ理解できる糸口となりました。

ポピーは文頭に紹介しました通り、19世紀では「眠り」「忘れ去るもの」でしたが、マクレーによって「流された血」と言う強い意味が加わりました。

以下、単語のシンボルを紹介します。

Larks(ひばり)                         

☆希望と愛、楽観的な象徴(生きる事は意気揚々だという)

☆ひばりの歌:陽気、喜び

☆ひばりは夜明け前に飛ぶ鳥であることから「変化」と「約束」

Torch and Lamp(電灯、たいまつ、ランプ)           

➤たいまつやランプはマクレーが書く数々の詩で使われている。

☆導き、照明、明るくすること

☆将来への希望

Crosses(十字架)                        

☆再発生、循環

☆希望、愛と苦痛からの解放

段々と伝えようとしている意味が理解できてきました。

今度はいよいよ具体的な詩の意味です。

詩の意味を分析                           

参考にしたサイトから一部内容を訳しました。

訳)
友人を埋葬した地、戦死者たちの墓のまわりにポピーが広がっている。ガンの発射音が、空を飛ぶヒバリの鳴き声をかき消している。でも少しは聞こえている。全く聞こえないよりましだ。まだ望みはある。

でも死んでしまった男たちにはもうない。ついこの前まで生きて愛されていた。。。
でもこの詩は“戦争を無駄だ”と呼び掛けているのではない。

最後の節は“生存者にバトンをとって敵と再び戦い続けろ”と呼びかけている。もし戦いを終えない暮らしが生き延びた者によって始まらなければ、その死は彼らの墓で眠ることが出来ないだろう。

The sound of the guns firing the western front has almost drowned out the natural birdsong in the skies above – almost, but not entirely, it’s worth noting. There is yet hope. But not for the men who have died, who until so recently lived and loved. But the poem does not call war futile (as Wilfred Owen, in his poem ‘Futility’, would, later in the War): the final stanza calls for those who are living to take the baton (or, to use McCrae’s symbol, the torch) and continue the fight against the enemy. If the living do not finish the fight begun by those who gave their lives, the dead will not be able to rest in their graves.  

 引用:A Short Analysis of John McCrae’s ‘In Flanders Fields’https://interestingliterature.com/2016/02/22/a-short-analysis-of-john-mccraes-in-flanders-fields/

次はもう一つの分析内容です。「たいまつをとって敵との戦いを再開せよ」の部分の分析です。

訳)又たいまつ(トーチ)のイメージは死者からの嘆願である任務をはっきりと思いださせる。それはこの世に残された者がなお生きる素晴らしさを楽しむこと。それが彼らの死に対する主義を受け入れることだ。もし彼らに代わって生き続ける者が行動を起こさなければ、その死は休むことはない、フランダースの野に最後の安らかに眠る平和の出現にもかかわらず。。。

Also, the image of the torch provides a stark reminder of duty, a plea by the dead that those who remain on earth and still enjoy the loveliness of life take up the cause for which they died. If those who live on fail to act in their stead, the Dead will not rest, despite the peaceful appearance of their final resting place in Flanders Field.

          引用:In Flanders Fields Analysis
 https://www.enotes.com/homework-help/poem-flanders-field-by-john-mcrae-what-can-seen-153503

まとめ

今も悲惨な戦争の悲劇を忘れず、平和を祈る為に受け継がれている詩。

医者であり、自らも砲兵隊として遠征したマクレー。大多数の負傷した兵士たちを治療しながら友人の死の埋葬をする。

「暗黒と希望」「生かされるものと消えゆくもの」の中で、当時自国の為に戦う事を余儀なくされた兵士たちの流した血を無駄にしない為に書かれた詩となり受け継がれています。

生き行く者が戦いを終わらせる為に戦没者から受け取ったたいまつ(トーチ)は、まさしく将来への希望だったに違いない。

私も含めて戦争を知らない世代にマクレーのこの詩のメッセージである “戦争の悲劇” を二度と繰り返さない為にも子供たちに歴史を伝え続けていく事が親としての役目だと思った私です。

ただ、戦争をしかける国が出てきた今日、自国を守るために戦わざるを得ない国が存在するのも事実。

平和を心から祈るだけでは阻止できない。

2022年のアンザックデーにオーストラリアの首相は、ダーウィンでの夜明けの礼拝に出席して演説しました。

ダーウィンといえば日本が起こした太平洋戦争で、空襲攻撃をしたところ。

ダーウィンではアンザックデーはもちろん、このダーウィン空襲攻撃での犠牲者追悼も深く関係します。

モリソン首相は

「この特定の日に、私たちは私たちの自由と自由のために戦った人々を称えるので、私たちはこの瞬間に同じことをするウクライナの人々とも一緒に立ちます。」

と言いました。

また、ピーター・ダットン国防省は

 

“The only way you can preserve peace is to prepare for war,
and to be strong as a country” 

“Not to cower or be on bended knee or be weak. That’s the reality.”

「平和を維持する唯一の方法は、戦争に備え、国として強くなることです」
「ひざまずいたり、ひざを曲げたり、弱くなったりしないでください。それが現実です。」

 

と言ってました。

これが国際社会が自国を守るために国民に示しているメッセージ。

その後、政権が労働党に代わったけどどのように対応していくのだろう?
戦争追悼式で平和維持を願う国、それと逆でどんどん敵対化していく国。

いずれにしても世界情勢を自国ごととして捉えないといけない事に変わりはないです。

In Flanders Fields
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