海外生活、父の葬儀に出れない辛さを乗り越えて。

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2021年4月20日、午前11時半ごろオーストラリアで暮らす私の携帯に日本の実家からの電話がなった。ちょうど旦那と買い物から帰ってきた時だった。

てっきり母からと思いきやその声は叔母。もうこの時点で何か起きたに違いないと胸がずきんずきんした。

 

「あー、智子ちゃん。。。あのな、、、お父さんが亡くなったんよ。。。」

 

一瞬息ができなかった。

目の前が真っ白。。。

 

「えっ、何で?急に。。。」

 

本当に急な知らせだった。

認知症を患っていたけど癌でもなく特に重病でもなかった。

つい2ヶ月前の電話でも元気な声だった。

 

ところが高齢者に多いと言われる誤嚥性肺炎を起こしてしまった。

86歳だった。

 

私はコロナ禍で帰国できず実の娘でありながら父のお通夜、告別式に出ることができなかった。

 

きっと海外であろうが国内であろうがこのコロナ禍で離れた親を亡くしたにも関わらず私のように傍に駆けつけることが出来ない人はたくさん居るのだろう。

 

まさか自分がその一人になるなんて思いもしなかった。

 

この辛さ、虚しさを乗り越え自分の気持ちを整理するうちに分かった事がある。

 

それは認知症がひどくなっていた父とそれを心配しながらも支えてきた母、旦那と共に同居していた姉との最後の強い家族愛復活ドラマだった。

 


 父が亡くなるまでの2ヶ月で起きたこと。母が緊急入院。


 

父が亡くなる約2ヶ月前に母は緊急入院する羽目になった。

母は83歳。

まだまだ元気一直線!とは言え、もう立派な高齢者。

安全第一を考えて今年運転免許証を返納して以来、もっぱら食料品などの買い出しは一緒に暮らす姉が付き添ってくれていた。

さてその日は売出しの水を大量買ったそうでそれを家の駐車場から家の中まで運ぶのは大変!

と母は手押し車(台車)で運ぼうと取りに行った時のこと。

 

その台車はもう古びていた。

折りたたまれたハンドルを起こそうと躍起になって力を入れた瞬間、その反動で思いっきり尻餅をついてしまったのだ。

 

コンクリートに思いっきり。

姉が言うには顔色が真っ青だったそうだ。

母はしばらく息ができなかったらしい。

 

緊急病院で診察を受けると“圧迫骨折”との事。

 

背骨の骨の中でも椎体という部分がつぶれるように折れてしまう骨折。

 

案の定即入院。

 

母は病院に行ったことまでは覚えているけど気がついた時にはもうベッドの上で傍には姉が用意してくれた物が置かれてあったらしい。

 

気絶するくらい痛かったのだ。

 

コロナ禍のため姉は入院中の母に面会する事ができず、必要な荷物を届けるのも受付での引き渡しで足止め。

 

唯一携帯電話で母とやりとりをして近況報告を受けていた。

 

母は家族に会えない中、家に残した父の事を気にしながら激痛と戦い約6週間の入院生活を送ったのだった。

そして尻餅ついたその日が元気な父を見た最後となってしまったのだった。

 


私が交わした父との最後の会話


母が入院したことを姉から聞いたのは少し事態が落ち着いた1週間後だった。

それを知らずその1週間の間に2回実家に電話をして父と少しばかりの会話をした私。

まさかそれが最後になるとは思いもしなかった。

 

認知症による記憶障害が悪化していた父。

それでもオーストラリアからの私の声はすぐ分かって元気な声で挨拶してくれていた。

ただこの時ばかりはおかしな事を言った。

 

1回目は「おー、ともちゃんか!オーストラリアにいるんか?」

私がオーストラリアにいるのは当たり前のごとく知っているはず。。。

 

2回目は「お母ーちゃん、そっちに行ってるんだろ?」

母が入院している事がわかっていない。オーストラリアに母がいるはずないのに。。。

 

耳が遠くて私の言っていることを聞き取れない父は簡単な挨拶をしてすぐに「元気でな、またな」と機嫌よく言って切った。

これが最後に記憶に残っている父の元気な声。

だからそれからほんの約2ヶ月半で父の訃報を知った私はもう何がなんだか訳がわからなかった。

 


一人で父と母の看護をした姉。苦渋の決断。


母が圧迫骨折で入院中、それを知らなかった私が数回電話した時に交わした父との会話。

私がオーストラリアにいることは分かりきっているのに 「オーストラリアにいるんか 」と言ったり、入院中の母の事を 「お母ちゃんそっちに行ってるんだろ ?」と言ったり、父の認知症による記憶障害がかなり進んでいるのは明らかだった 。

 

ただ 私の声を判別できることが救いだった 。

 

母が入院して数週間後 、父はついに徘徊をして道に倒れてしまった。

早朝消防署から実家に電話があり受話器を取った姉はびっくり 。

 

「〇〇さんのお宅ですか?〇〇さんが道に倒れているところを見つけた方からの連絡で無事救助しました。」

訳が分からなかった姉は思わず「え っ、父は寝ていますが 。。。」と答えたらしい。

 

「それは 確かですか?もう一度 確かめてもらえますか ?」

と言われて寝室を覗くとベッドで寝ているはずの父がいない 。

 

玄関のドアが開いたまま 。。。

 

2月末の冬の徘徊。前日は雪が降ったそうだ。

幸い見つけて下さった方が救助が来るまでの間、父にジャケットをかけて温めてくれ命が救われた。

体温は27度まで下がっていた。

昏睡状態だったのだ。

もし発見が遅れていたら凍死していた。 

 

病院で先生からやはり「認知症による徘徊 」だと診断された。

今回は救われた。でもまた起こると。。。

 

母は入院中だし姉夫婦も仕事があるし父を一人で置いておくのは大変危険と言う事で病院の先生から「介護施設」に入る事を勧められた。

 

姉は、家族に会えず一人で頑張っている入院中の母と心配性の私を気遣って徘徊や介護施設の事は黙秘でたった一人で父を施設に入れる苦渋の決断をしたのだった。

 

「お父ちゃん、これから介護施設に行くよ 。お母ちゃん入院してるし一人でお父ちゃんを家に置いとくのは危ないからそこでしばらく過ごすことになったよ。」

そう切り出した姉に

「そんな急に言われても 。。。まだ 心の準備ができてないわ。。」

と言った父。

「でもなお父ちゃん 、今回お父ちゃん、寒い朝方外に出て行って倒れてしまったんよ 。誰にも見つけてもらわんかったらそのまま 死んでたんよ 。

でも親切な人に見つけてもらって命が助かったんよ 。お父ちゃんは 神様を 信仰してるだろ 。だから神様がお父ちゃんの命を助けてくれたんよ 。そのまま家でいたらお母ちゃん入院中やし 私も仕事があるし 。。今度また徘徊したらもう命が助からんよ 、せっかく神様が守ってくれた大事な命 、大切にせなあかんよな 。」

姉のこの言葉に父は

「そうやな 、神様信仰してるもんな。。。神様が助けてくれた命やもんな 。」

そう言っておとなしく受け入れたらしい 。

 

その施設は、実家の近くに住む叔母と長男である従兄弟が口利きをしてくれすぐに入居できた。

 

施設で滞在の準備が整い 、やがて夕飯の時間が来て職員さんが声を掛けに来た。

父が他の人たちと一緒に席に着いた後ろ姿を見てそれを最後に姉夫婦は施設を後にした 。

 

帰りながら姉は

「私はお父ちゃんをこのまま置き去りにしているんだろうか?」

と見捨ててしまったような罪悪感に陥ってしまったらしい 。

 

その気持ちを施設を紹介してくれた従兄弟に打ち明けると

「ねーちゃんはおっちゃんを見捨てるんと違うよ。おっちゃんの命を守る為に施設に預けたんよ 。命を守るための選択をしたんよ。罪悪感は持たんでいいよ。」

 

そう アドバイスをしてくれたそうだ 。

私はこの言葉を聞いて本当に救われた 。

命を守るための選択 。

姉が一人で背負った罪悪感。

ところがこれが予想外の展開へ。

 


施設での父は人気者 だった!


こうしてなくなるまでの約1ヶ月父は介護施設で過ごした 。

「もうそろそろ帰るわ 。」

と何回も言いつつよくお喋りをしてらしい。

車椅子に乗ったまま詰所にも「ようっ!」とひょっこり顔を出していたらしい。

お世話する度に「ありがとう、ありがとう。」とお礼を言って何とも優しい礼儀正しいお爺ちゃん。

仲のいい友人を見つけたらしくその人と一緒に体操をしたりとにかく明るく職員の人達の人気者だったと聞いた 。

昔の厳格などちらかと言えば気むづかしい父の姿はリアイアしてからとっくになくなっていたが認知症を患ってから無気力で外出するのを億劫がっていた父とは正反対だ。

 

だから家に居るとこんな体験はできなかった 。

きっと神様が与えてくれた最後の社交の場だったに違いない 。

 


誤嚥性肺炎を患い 緊急入院


ところが 約1ヶ月後、肺を患ってしまった 。

高齢者に多いと言われる誤嚥性肺炎。

特に高齢者は典型的な症状が出ない事が多い為、何となく元気がないな。。。と検査した時にはかなり重病化している事があるらしい。

父の場合は嘔吐したらしく異変に気づいて緊急入院した時には肺が真っ白になっていたらしい。

何とか命を取り留め治療して回復に向かっていた。

 


母が退院。


約 6週間に渡っての入院生活を終えて無事退院した母。

前述したように父の事を一番気に病んでいた母だったので姉はあえて治療に専念できるように母には徘徊の事も知らせず一人で二人の事を見守っていた。

初めて父が介護施設にいたこと、その後入院していることを知らされた母。

事情を聞いて

「お姉ちゃん、ありがとう。もしお母ちゃんだけだったらもう気が動転してしまってどうにもならんかったわ。」

と言った。

 

すぐにでも父と再会したかった母。

 

残念ながらこれまたコロナ禍の為、入院中の父との面会はなかなか出来なかった。

何とか頼んで数回面会をしたけどそれはいつも点滴中で眠っていたらしく元気な姿の父との再会は母の入院前が最後になってしまった。

回復を願いながらもそれは叶わなかった。

病院から父の死の連絡が入り近所に住む叔母が即刻母を迎えに行って駆けつけた時、父はまだ暖かかったらしい。

最後に母は父の暖かさを感じることができた。

 

その父の最後の顔は何とも綺麗で穏やかで今にも話しかけようとするような幸せな表情だったらしい。

母の入院、父の徘徊、そして介護施設、そこで楽しく過ごしつつも肺炎を引き起こしてしまって今度は父が入院、とうとう帰らぬ人となってしまった。

 

それでもこの2ヶ月でかけがえのない宝物になった事がある。

 


父が亡くなるまでの2ヶ月は姉と父母の絆を深める最後のチャンスだった。


 

父は昭和一桁生まれ。

典型的な父親第一主義の家族で育った私たち。

自営業で経営の最高期と低迷期全てを背負いながら娘二人を県外の大学まで行かせてくれた。

 

父のタイプはズバリ強いリーダー、自分の意思を通す、こうと決めたら突き進む。

厳しくて曲がったことが嫌い。でもその反面、情け深く面倒見がいい。

 

姉は比較的厳しい父の言う通りに道を歩んできた。私とは正反対。

長女という責任感を人一倍感じて背負ってきたところはある意味、父と似ている。

 

姉は厳格な父とは正反対のとても穏やかで優しい人と社内結婚後しばらくして父母と同居し始めた。同居と言っても2世帯同居風にリフォームして2階に住んでいた。

 

子供は授からなかった。

でも二人ともよく働き、2人の生活を楽しみながら父と母はそれを暖かく見守っていた。

 

ところが父は80歳を過ぎたあたりから認知症による記憶障害の初期症状が出始めた。

 

一方で姉はどんどん昇格していって今や部長。

 

役職が上がるにつれてますます多忙になり、毎晩遅い帰宅で同居ながらも父母と交わす会話の数も減っていった。

 

母は姉の昇進のたびに心から祝いつつもどこかしら抱えているストレスや昔のように日常会話を楽しむ機会が減っていくことに対し心を病んでいた。

 

また父とあまり会話をしなくなっていったことにも。。。

 

昔とまるっきり違って無気力になっていく父の姿を見るのが辛かったのは誰よりも姉だったのかもしれない。

 

母は少しでも姉夫婦の助けになろうとご飯の準備や洗濯など身の回りのお世話をしていた。

 

私は遠くながら姉が避けている父との関わり、会話の数が減っていく親子関係を心配するだけで何もできなかった。

一緒に住むからこそまた血が繋がっていればいるほどぶつかる壁がある。

私は外に出ている分、父や母、姉の抱えていた辛いそれぞれの思いをスルーして里帰りした時に楽しい思い出だけをもらっていた。

 

だから余計に認知症が進む父、それを支える母、その現実を目の当たりに受け止めなければならなかった姉の苦しみが痛いほど理解できた。

 

父が亡くなる2ヶ月前、神様は皆に最後の親子の深い絆を結ぶ機会を与えてくれた。

 

母が思わぬ圧迫骨折で緊急入院、これは決していい事ではなかったけれどその間姉は母が日々してくれたことに対してのありがたさを痛感した。

 

母は姉がコロナ禍で面会できない代わりに毎日電話をかけてくれたこと、全て面倒見てくれたことに感謝した。

 

父が徘徊してしまったことは命の危険にさらされ辛い出来事だった。

でもそれが介護施設へ入るきっかけとなり、父は最後にそこでもう一度社交の場に身を置くことができた。

 

そして何よりも姉は母の代わりに施設にいる父を見舞ってお世話をし最後にとても深い時間を過ごすことができた。

 

近くにいすぎて気付かない事がたくさんある。

離れて初めて気付く事がたくさんある。

 

お葬式の夜、スカイプで姉と母と3人で話した。

 

姉の今までの父に対するいろんな思いを全て聞いた。

 

この2ヶ月、それぞれ家の外で過ごした父と母を一人で看護し

最後心が一つになってまた家に戻ってきた気がする。

 

父の姿はもうないけど父を慕い母に感謝する姉の言葉は本当に嬉しかった。

そして今私と姉はこれまで以上に老いという現実に正面から向き合い、二人で力を合わせて母が認知症にならないようになっても出来ることを見つける決意をした。

 

 

 

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