第一話 ゛結婚適齢期への焦りが招いた悲劇と自立の目覚め゛

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そもそも海外旅行以外、英語と無関係の生活をしていた私が何故 海外移住するに至ったか?

ずばり きっかけは「夫との出会い」です。

とは言え、人生を大きく左右する「海外移住」に至るまでには いろんな事がありました。

かれこれ 30年以上前に遡ります。


充実した社会人生活スタートの後、皆 円満退職していく。。。


東京の某大学卒業後, バブル期ギリギリ後半の好景気のおかげもあって ラッキーにも大手の希望会社に入社する事が出来た私は、上司や先輩たちにも恵まれ 充実した日々を送っていました。

経験を積むごとに自信に繋がり、会社のネームヴァリューのおかげもあって“人から認められる”という余韻に浸っていました。

   

ところが、6,7年目あたりから ほぼ毎年 友人たちが「結婚宣言」を連発。
当時は まだ「円満退職」が主流だったこともあり、一人また一人と同期の姿が消えていきました。
学生時代からの友人たちも 家族を持ち始め、幸せそうな家族写真の年賀状が届く度に

少しずつ 将来への不安が ちらつき始める。。。

皆 結婚して 子供産んで。。。

私にも いつか そんな日が来るんだろうか?

残業してくたくたになった帰宅中、夜空を見上げてはため息をついていました。


結婚願望のない相手に別れを告げる


この人と結婚したいと思う相手もいました。大学卒業後から 長年に渡って支えてくれた人。

でも 相手に結婚願望がなく 私もまだ若かったから 特に焦る気持ちがないまま 流れに身を任せていくうちに 当時の人が言う“結婚適齢期”を迎えていました。

”結婚したいか?”

↓  

したい。

安心したい。

自問自答を繰り返しては “いつか結婚話を持ちかけてくれる”事を期待しました。

でも いつまでたっても相手にその意思がない事が明確になってから 思い切って別れを告げ、再出発しました。とは言え、気持ちを切り替えるのには かなり時間がかかりました。

別に 浮気されたとか、お金まわりに問題があったとかではなく、“結婚に興味がない”人だった。。。

もしくは、私がその価値に値しなかったのかもしれません。

“今度は 結婚を望む人と出会いたい”

よく友人から聞かれました。

”結婚相手はどんな人がいいか?”

                価値観が一緒で、経済力があって 男らしくて 優しくて、

何よりも

“家庭を持ちたい”と思う人。。。。

「恋愛結婚」できればいいな。。。

分かってます、そんな自分の望む完璧な人、なかなか現れないの。。。

それでもいつかきっと”この人”!と心から思える”白馬の王子様”が現れる事を待ち続けた私。

  


お見合いをした結末は゛婚約破棄゛


そこへ、「お見合い」話がやってきました!当時 27歳。

正式の ゛見合い゛でした。同じ東京での一人暮らしで なおかつ同じ故郷の人。

お互いが帰省中の時に会いました。まずは両家の母親が同席して その後、本人同士だけでデート開始。

とても 優しい人でした。学歴、職歴も良く、話もあって楽しくて その後も交際を続けました。

ところが、、、

この結末は 婚約破棄

理由は 「相手の親の関与(宗教あわせて)」と「優しすぎて親に何も言えない相手」に 将来を託す 覚悟が出来ていなかったから。

本人同士だけなら 本当にあっていたのです。でも、゛結婚゛となると 両家親族が絡んできます。

幸せ絶頂期だと予想していた゛結婚準備期間゛は、私にとっては゛将来不安期゛となっていきました。

゛結婚の日取り゛゛引き出物゛゛婚約指輪゛ ゛新居゛に渡って 全てΓ○○にしないと縁起が悪い、不幸になる」と 本人たちで決めた内容は 片っ端から覆され始めました。

それでも 最初は ゛私たちの事を思ってのこと゛と前向きに考えていました。

でも、見事なまでに 意見を言えない、しかも自分で決めた事であっても太刀打ち出来ない彼の姿を見るうちに

゛このまま結婚して子供が出来ても実家に帰らせてもらえない゛゛○○しないと不幸になる゛

と関与され続けるに違いない。。。と思うようになりました。

最初の頃は、態度が違っていて本当に理解ある人だと思っていたのです。

「何でも二人で話し合って決めてね。私たちは あんまり口出ししないから」と。。。

それから次第に 頻繁に一人暮らししていた私の家に電話がかかってくるようになり、当初は 仲のいい嫁姑になる訓練だと思って いろいろ話していました。

今 思えば、結婚前に 我が息子が私のアパートにいるんじゃないか?とチェックしていたのかもしれません。

最終的な決めては、

「あの子は本当に優しい子だから何も言い返せないの。あんまり強くいろいろ要求しないで」

「こっちの家に嫁に来る立場なんだから 我が家の方針に従ってもらわないと困る」

と言われた事でした。

私の両親も この準備期間を見てきて あまりの考え方の違いや 彼の姿勢に呆れるようになりました。

それでも、゛もうここまで来てるから 今更 後戻りできない。。。東京で暮らすし、結婚式さえ終わったら あとは私たちだけの生活が出来るはず。。。゛と思っていた私。

ある夜、彼の母から怒りの電話が!

一人暮らしのアパートの契約期間の関係で 私の方が彼よりも先に新居に引っ越す事になるむねを知った途端、

「嫁になる立場なのに 先に引っ越すなんて。ましてや私の目が黒いうちは、絶対に結婚前に同居なんてふしだらな事、させる訳にはいきません。」

この時、実家の母が上京していて傍にいました。私の電話のやり取りを聞いて 我が娘を想う母は涙しました。

「幸せな期間のはずが こんな事になって情けない。。。ここの契約切れたら どこに住めっていうんだろう。。。」

彼から経緯を聞く前に 直接 こうした要求や文句が私にくる事に対して 私の父が言ってくれた言葉は、

「もう これ以上は無理だと思うよ。結婚しても ずっと悩まされる。いくら本人たちが希望した事であっても 毎回 親の許可をもらって 逆らうことになって 彼も不幸になる。縁がなかったんだ。もっと逞しい 守ってくれる人、見つけた方が幸せになると思うよ。」

と言ってくれたのです。

それから しばらくは 「姑恐怖症」に陥ったものの、願望だった「結婚」がどれだけ 大変

な事かを痛感しました。本人同士だけの問題ではない。。。

この経験は 痛撃で 10キロ以上痩せてしまいました。

自分から好きになった相手は “結婚願望なし”

“結婚を目的”とした相手は “親の言いなり”


婚約破棄から学んだ3つの事!


今は゛見合い結婚゛にも いろんな形があるようですが、結婚となると両家が絡んできます。

本人同士だけではない事、諸々。。。

既に結婚の意思があっての付き合いなので、その気持ちの確認よりも

☑相手の親の息子への接し方や考え方と、息子の対応をなるべく早い段階で知る事。マザコン度チェックです。どこまでなら許容範囲かは人それぞれですからね。

☑見合いでも 出来れば3か月程度の交際で決断するより、半年はじっくりと交際した方がいいと思います。本当に焦りだけは禁物。3か月は、当人同士を知る事で精一杯で 相手の両親とのコミュニケーションまで行き届かない事が多いです。それでも期限が決まっているなら 早い段階で相手の両親と接しておく事が大事です。

☑将来、相手方の家と どんな状況になり得るか、本人だけでなく 自分で相手の親と接して予想して置く事。私の場合、本人には確認していたのにもかかわらず、違っていましたから。


自立した女性を目指すきっかけとなった゛友人の言葉゛


婚約破棄後、益々 思うようになった事は、

“いつか私にも 幸せにしてくれる条件のあった相手が現れるんだろうか?”

でした。

そこへ 同じように”婚約破棄経験者”の親友がくれた言葉。

”いくら相手の条件がよくても 環境が変われば その条件も変わる。

だから相手の条件を期待しないで自分が自立していたい。

そしたら結婚適齢期とか 周りに左右されないで 

自分で本当にこの人!って出会える日まで

 待てると思う。”

はっと目が覚めた私。

いつしか私は 「結婚適齢期」「白馬の王子様説」に焦りを感じつつも 「誰かに幸せにしてもらう」事ばかり期待して 自分を見失いかけていたのでした。

「よーし!自分磨きをしよう!将来 一人でも しっかり生きていけるように。」

不思議とこの決断は、「将来不安心」を軽いものにしてくれました。

同時に ふとテレビCMで耳にした台詞です。

“待ってなんかいられない。私は走る”

確か 女性のスポーツシューズだった気がします。

「まさに私の事だ!誰かを待つ女じゃないわ。」

単純なもので 即 スポーツジムへ直行し、一人黙々と走ったのを覚えています。

 

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