第三話 ゛夫は価値観を変える゛相手だった!

私が海外移住を決める事になった直接のきっかけは「国際結婚」です。

夫との出会いから遠距離恋愛を含めて約2年半の交際期間後でした。

そもそも どうやって出会ったか?

休暇中に訪れた旅行先の個人ツアーの担当ガイドの指導者が夫だったのです。その頃の年齢は二人とも33歳。

当時、私は会社勤続10周年記念を迎えて 1年有効な5日間の休暇をプレゼントされました。

今までにも ほぼ1年に1回、休暇をとって海外旅行に行っていました。

ストレス発散の為に、別の国でのんびりする事で わずかの時間でも゛現実逃避゛したかったのです。だから もっぱら゛海の綺麗な国゛へ旅行していました。

それまでの私は、

海外旅行へ行って たくさんの”癒しと刺激”を受けても、自分の居場所を変える程の経験には至りませんでした。

ところが、この休暇で変化が起きたのです。他の人からすれば、そんな事で?と思うかもしれません。でも、当時の私にとっては、ガラス製の服がガシャリと割れ落ちて楽になるかのごとく新しい価値を感じたのでした。

その年は本当に多忙で、気が付けば その月中に休暇をとらないと消滅してしまう状態になり、急いで親友を誘って「バリ島」に行く計画だったのです。゛癒し゛を求めて。

ところが、行く気満々とは裏腹に 突如 バリ島は 危険地区へ!

代わりに勧められたのが「オーストラリア」でした。

その親友は、引退後にごく小さな旅行会社を経営している元上司に頼んでこの旅行を計画してくれました。その上司と昔の部下仲間も共に参加して合計7人の グループ旅行になりました。

ここで、その上司が ひいきにしていた現地のオプショナルツアー会社の社員の一人が 夫 だったのです。担当ガイドは若い20代前半で 夫は彼の指導者としてツアーに同乗していました。


夫は価値観を変える相手だった


よく、「価値観の違い」と聞くと ゛芸能人の離婚会見゛を思い出しますよね。

それは、マイナス方面に働いた場合です。

私の場合は、゛こんな風に考えられるのか!゛゛そんな生き方もあるのか!゛

と、自分に見えなかった新しい価値を与えてくれるプラス方向に働きました。

本当に楽しそうに仕事をし、一生懸命 日本語しゃべって 客を楽しませようとする姿

そのツアーは、私たちだけの個人ツアーで そもそも私と友人以外は皆 60歳以上でしたが、楽しい社交性豊かな方たちで経験豊富。個人ツアーなので 夫とも若い見習いガイドとも話す機会が多く、楽しく打ち解けました。

移動中のバスの中で 個人的に夫と会話するチャンスに恵まれた時、

゛昔 ワーホリで日本で暮らした経験話゛や゛日本語を話せるようになって仕事の幅を広げたかった事゛など 聞いているうちに

私は 偉そうにして権力で物を言う会社上司が嫌いで 

それに負けないように自分に何かステイタスになるものを求めてたけど

ここに来たら

英語が基盤。。。

゛言葉゛という 基礎の基礎。

 

ふと思ったのです。

威張り散らしている上役も 日本では 会社のネームヴァリューで威厳を保ってるけど 英語しゃべれないと ここに来たら ただのガミガミおやじ。。。小さな存在に急変”

“この人は、オーストラリアを超えて日本語を学んで もっと広い世界で生きている

何て素敵なんだろう。お金や地位だけじゃない価値だ。”

 

オーストラリア旅行は これが2回目でした。以前は25歳の時。

でも、その頃は ゛会社でも上役、上司や先輩たちにも恵まれていた事゛や ゛給料をもらって 休暇で海外旅行へ行く事に満足゛していたのです。

この時に限り 自分の中で求める価値観が変わったのでした。

その頃の私は、会社自体は好きだったけど バブル崩壊後の不景気の影響で変わってしまった人事で 権力を振りかざす上役たちが大嫌いでした。なので、

 

「会社でもっと認められる為に積むキャリア構築」

と、

「いつか会社を辞めて自分の好きな分野で働くけるように積む新しいキャリア構築」

の両方に向かって頑張っていました。要は、゛キャリアウーマン゛になれるように頑張っていたのです。

 

「英語が話せたらもっと世界が広がる!」

これは、その頃 学んでいたカラーセラピーの先生たちからも刺激を受けていました。

それに合わせて、オーストラリアと言う広大な土地の大らかでユーモア溢れる国民性と、夫の面白い会話力、優しく逞しい存在が その時の私の価値のあり方を変えたのでした。

でも、まだこの時はまさか“海外移住”する事になるとは思いもしませんでした。

 


遠距離恋愛で英会話が生活に突入


さて、お互い意気投合して帰国後も 撮った写真を送ったりしながら 英語でのメール交換、国際電話へと親しくなるにつれ、おのずと英語が生活の中に加わったのでした。とは言え、受験英語で培っただけの英語力。

何時間もかかって メール文を作成したり、電話するようになってからは 言いたい事を一生懸命 前もって練習したり。。。

大変だったけど、少しずつ違う世界が見えてきました。

不思議にも 英語に触れるようになってから 外人に道を聞かれる事、本屋の英語本コーナーで話しかけられる事、カラーセラピーで外人の講師に触れる機会が次々とやってきました。

「もっときちんと話したい、伝えたい」

その頃は、とにかく“英語を話したい”一心で ”英語日記”や、”日常英会話本”で勉強して 彼との電話で少しずつ “英会話”に慣れていきました。スカイプのない時代でしたからね。

彼はその頃 大家業もしていて 何人か日本のワーホリ生を受け入れており、電話の向こうで私が分からない言葉を その子たちが通訳してくれたりもしました。

“若いのに逞しい!日本を飛び出して 頑張ってるんだ!”

と ワーホリ生たちの存在と生き方に興味を持ち始めました。

そして段々 勇気が出てきて 一人で私自身も彼に会いに行く事が多くなり、彼とのコミュニケーションが目的は勿論のこと、そのワーホリ生たちの夢、彼の友人たちと触れ合いの中で

 今まで “別世界” だったものが

“海外は近い”!

英語が出来れば。。。

と深く思うようになっていきました。


10年後には英語を話せる自分がいる!勇気を与えてくれたワーホリ生。


彼の家に訪問中、当時25歳だったワーホリの女の子と話した内容です。その子はほとんど英語が喋れませんでした。

「私の場合は 英語ができるようになるのに かなり時間がかかると思ってるんです。多分 ペラペラになるまで10年くらい。。。だから今 行動しないと!って思ったんです。10年かかっても まだ35歳だから。」

「10年後の自分。。。」

 

当時の私は33歳。「凄いな、この子。若いのに きちんと自分で生き方を選択している」と感動しました。

私の場合は、「大学→就職→結婚(多分 仕事と家事の両立)→家庭」という設計図が自分の中で漠然と出来上がっていて、特に「結婚」から先は 相手次第という固定観念があり、だからこそ その計画が狂うと不安になっていたのです。

何もしなくても10年と言う月日が必ずやってくる!

 

それから 真剣に考えました。43歳になった私を。。。

「10年後の私は、43歳。その日は必ずやってくる。」

“今のままこの会社でキャリアを積むか?いつかはまたいい上役に変わるのを期待して。”

それとも

“英語がしゃべれるようになっている(中年)女性か?”

彼の存在も勿論大きくなっていました。数か月ごとに会いに行くケースが増えていました。

ただ前のように“好きになった相手が結婚願望なし”タイプだと 深入りするだけ辛い思いをする羽目になる。。。


Choice is yours!


行動に移すなら今しかない、気持ちを確かめないと次に進めない。

「これから先 お互い どうありたいか?私の事をどこまで真剣に考えているか?」

彼の答えはこうでした。

「遊びではない。ずっとこれからも もっとコミュニケーションをとって分かりあいたい。でも ここと東京の生活は全然違う。僕は ここがホームタウンだから来てほしいけど それは簡単にできない事もわかってる。でも とも子の人生だから 選択はとも子自身が決めないとね、Choice is yours.」

でした。

一層、「こっちにおいで。二人で頑張ろう!」って言ってくれれば 思い切ってすぐ飛び出せたのに。

帰りの飛行機の中で 自問自答です。

「何て正直な人なんだろう。”Choice is yours.” か。。。」


短期語学留学を決意!


「彼を目的に 飛び出したら もし別れた時に必ず後悔する。“英語の修得”を目的にして 更には彼とのコミュニケーションももっと図ったら、最終 別れの結末になったとしても “彼の責任”にしたり 後悔はしない。私には 英語と経験が身についている。」

すでに33歳だったので「ワーホリ」ビザはとれませんでした。代わりに「短期語学留学」が選択肢に入りました。

更には、「語学留学終了後」に 帰国して何ができるかも真剣に考えました。

“英語”が目的でなく、“英語を使って何をするか?”が大事だと留学情報にも書かれていました。その通りです。

私の場合は、当時 会社と平行して目指していた「カラーセラピスト」がイギリス生まれだったので 講師に外人が多く その通訳者という道を考えていました。

彼にも 私の決断を報告。全面的に協力してくれることになりました。

大きな壁は、両親への説得でした。

「今まで育てて大学までやって、いい企業に就職したのに 全て捨てて海外に行ってしまう。帰ってきてら年齢は もう34,35歳で 再就職は厳しい。そんなリスクを背負うのは。。。」

と言われることは十分 承知していました。

それでも「今 行動しないと二度とこんな機会と勇気はやってこない」

不思議とパワーがあふれ、私の気持ちを両親は受け入れてくれました。

それから1年計画で “会社退職” “語学留学”への準備を始め、いざオーストラリアへ。

 

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