今回は「モーセ」の生涯を追っていきます。
「西洋の歴史」を理解する上でも教養として知っておきたい1つですよね。
さらに抑えておきたいのが「英語」での「固有名詞」の呼び方です。
いやー、私ことながら、せっかく内容を理解していても、英語での呼び方を知らなくて通じない悲劇が。。。
ということで、まず最初に登場する固有名詞の英語発音を紹介しておきますね。
(青い文字の部分をクリックすると発音が聞けます。)
*アブラハム→Abraham(éɪbrəhæ̀m)
*イサク→Isaac(áɪzək)
*ヤコブ→Jacob(ɗʒéɪkəb)
*モーセ→Moses(móuzɪz)
*アロン→Aaron(éərən)( ́ærən )
*ヨセフ→Joseph(dʒóuzəf)
*ヨシュア→Joshua(dʒɔ́ʃ juə )(dʒáːʃuə )
更に、ここで一部引用する聖書は「日英対訳」で紹介します。
これを読んでいただければ、「モーセ」の人生、忠実性が理解でき、聖書の英文も理解しながらかつ、巡礼地としても名高く、あの聖パウロ2世や教皇 ベネディクト 16 世も訪れたモーセが生涯を閉じた「ネボ山」にある「モーセ記念教会」や「青銅の蛇モニュメント」まで、更にモーセの兄であり司祭であった「アロン」の墓があるホル山の頂上まで、教養としてもどっぷり浸って頂けると思います。
モーセまでの歴史振り返り
さて、モーセまでの歴史を振り返りますと。。。
紀元前17世紀ごろまで遡り、アブラハム(Abraham)、その子供であるイサク(Isaac)、更にイサクの子供であるヤコブ(Jacob)がカナンの地(現在のパレスチナ、イスラエル)に定住しましたが、ヤコブの時代に飢饉が発生。
その為、食糧が豊富な「エジプト」へ移住することになります。
その「エジプト移住」にあたり、重要人物が「ヨセフ(Joseph)」です。
ヨセフは、ヤコブの最愛の妻ラケルの子供。
それに嫉妬した異母兄弟たちに「エジプト」に奴隷として売られてしまいます。
ところが、「ヨセフ」は王の夢解きをして「大飢饉から救った恩恵」を受けて「エジプトの采配」を任されるまでに大出世していました。
ヨセフの飢饉対策のおかげで、食糧が豊富にある「エジプト」、又ヨセフの恩恵で「親ユダヤ派の王朝」のもと「イスラエルの民」は「カナン」から「エジプト」へ移り住むことができました。
しかしながらその後、時代を超えて何王朝も変わり、ヨセフの功績を知らない王になった頃、ヤコブの子孫(イスラエルの民たち)は「エジプト人」の数をはるかに上回るようになって、王に脅威を与えます。
その結果、イスラエルの民は「奴隷」となってしまいました。
紀元前13−12世紀、奴隷となって約400年あまりの後、遂に「出エジプト」の時がやってきました。
それを率いたのが、あの有名な海をパカーン!と2つに裂いた事で有名な「モーセ(Moses)」ですね。
ここでは、出エジプト記、民数記、申命記に記載されている「出エジプト」から「カナンの地」を目ざす約40年もの荒野放浪の「モーセ」の生きる姿を聖書をもとに追っていきます。
では、まず「モーセ」の生い立ちから。
モーセの生い立ち/The birth of Moses
モーセは「ヤコブ」の3番目に生まれた「レビ」の子孫です。
*そして後に「ユダヤ教」の起源となる「モーセの十戒」を授かります。
さて、エジプトのファラオがどんなに過激な重労働を与えても「イスラエル人」は衰えません。
そこで最終手段に出るのです。何と「生まれた男の子をナイル川に捨てろ」と命令を下すのです。
22 そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。
22 Then Pharaoh gave this order to all his people: “Every Hebrew boy that is born you must throw into the Nile, but let every girl live.”
(出エジプト記1章)
その時に誕生したのが「モーセ」。
両親は3ヶ月は何とか隠し通せたものの、それ以上は無理と判断し、パピルスの籠に防水処置をしてその中に赤ん坊モーセを入れ、ナイル川に流しました。
運命を神に委ねたと説かれています。そこへ、エジプトの王女が水浴びに!
「モーセ」を見つけるのです。
その様子を見ていた「モーセの姉」が母親を「乳母」として紹介します。
こうしてモーセは母親のもとで、「エジプトの王女から預けられた子」として育てられ、成長して「エジプト王女の子」として宮廷へ迎えられるのです。
(これらの内容は「出エジプト記第2章」に書かれています。)
出エジプトのお告げ
成長した「モーセ」は、自分が「イスラエル人(ユダヤ人)」でありながら、奴隷化させている側の「エジプト王家の一員」として複雑な思いを募らせたであろうと言われています。
ミディアンでの逃亡・結婚生活
ある時、イスラエル人の奴隷がエジプト人に虐待を受けているのを見かねて、モーセはそのエジプト人を殺害してしまい、遺体を隠しますが、王に知られてしまい、殺されそうになります。
モーセはミディアン地方に逃亡して、そこで出会った祭司の娘と結婚し、羊を飼って暮らしていました。
月日が流れ、ミディアンに逃亡して40年。モーセを殺そうとした「エジプト王」が亡くなってもイスラエルの民たちは奴隷として苦しんでいて、その叫びが神に届きます。
23 多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。
23 During that long period, the king of Egypt died. The Israelites groaned in their slavery and cried out, and their cry for help because of their slavery went up to God.出エジプト記第2章
神から【出エジプト】の使命を授かる
いよいよ神がモーセに語る時がやってきます。
1 モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。
Moses was tending the flock of Jethro his father-in-law, the priest of Midian, and he led the flock to the far side of the wilderness and came to Horeb, the mountain of God.2 ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
2 There the angel of the Lord appeared to him in flames of fire from within a bush. Moses saw that though the bush was on fire it did not burn up.出エジプト記3章
神の山ホレブは「シナイ半島」か「アラビア半島」か?
(別名、Mt Musaとも呼ばれます。)
いろんな学者の研究で主に2つに分かれます。
①4世紀以降の伝統的見解:シナイ半島の先端にある。(左図の左側の赤丸)
出エジプト3章にあるように、モーセは”ミディアン”で羊の群れを荒野の奥に導いて神の山ホレブに着いた時に、燃え上がる柴を見たとあるのです。
もし、ホレブの山(シナイ山)がシナイ半島にあったなら、ミディアンから「アカバ湾」を渡らなければならない。。。
エジプトを逃れてミディアンに逃亡した「モーセ」がわざわざ海を渡って「エジプト側」に羊を導くとは考えにくい。。。
更に後の新約聖書で「使徒パウロ」も「アラビアにあるシナイ山」(ガラテヤ4)と述べています。
①の伝統説「シナイ半島」に「シナイ山」となった背景
4世紀に「コンスタンティヌス大帝」の母ヘレナが敬虔なキリスト者で、彼女がここが「シナイ山」と主張したのを、古代カトリック教会が認定したらしいのです。
「モーセの登ったシナイ山」として聖地旅行者の人気スポットですよね。
「燃え上がった柴」もあるし。。。
ところが、後の学者たちの研究で「アラビア半島説」が登場しました。
ともかく、それは専門家にお任せして、重要なのはシナイで起こったことが世界を変えた!と言う事実ですね。
「出エジプト記第3章」/ Exodus 36 …神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
“I am the God of your father, the God of Abraham, the God of Isaac and the God of Jacob.” At this, Moses hid his face, because he was afraid to look at God.
10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
10So now, go. I am sending you to Pharaoh to bring my people the Israelites out of Egypt.
「出エジプト記第4章」/ Exodus 419 主はミデヤンでモーセに言われた、「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」
19 Now the Lord had said to Moses in Midian, “Go back to Egypt, for all those who wanted to kill you are dead.”
話し下手なモーセの代弁役「アロン(Aaron)」
実は、モーセは話すのが巧みではなかったため、代わりに彼の兄アロンが代弁役として神に任命されます。
<出エジプト記第4章>
10 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」
10 Moses said to the Lord, “Pardon your servant, Lord. I have never been eloquent, neither in the past nor since you have spoken to your servant. I am slow of speech and tongue.”
14 そこで、主はモーセにむかって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビびとアロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。
14 Then the Lord’s anger burned against Moses and he said, “What about your brother, Aaron the Levite? I know he can speak well. He is already on his way to meet you, and he will be glad to see you.15 あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、
15You shall speak to him and put words in his mouth; I will help both of you speak and will teach you what to do.16 彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。
16 He will speak to the people for you, and it will be as if he were your mouth and as if you were God to him.17 あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」。
17But take this staff in your hand so you can perform the signs with it.”
こうして神に従って、モーセはエジプトに戻り、王に「イスラエルの民を手放す」ように迫ります。
ところがどっこい、王はなかなか聞き入れません。
10の災い/The 10 Plagues
そこで神による「出エジプト記(Exodus)」で有名な物語、「10の災い(The 10 Plagues)」が起こります。
王が音を上げるまで、10の災いをエジプトにもたらしました。
1.血の災い(The plague of Blood):ナイル川の水を血に変えて飲めなくさせる。
2.蛙の災い(The plague of Frogs):カエルを大発生させる。その死骸の山から悪臭。
3.ブヨの災い(The plague of Gnats):ブヨを大発生させ、人や獣に襲いかかる。
4.アブの大発生(The plague of Flies):アブをエジプト人側だけに大発生させ、人々や畑を襲う。
5.疫病の災い(The plague of livestock):エジプト人の家畜だけ疫病で死なせる。
6.腫れ物の災い(The plague of boils):エジプト人と彼らの家畜に腫れ物をもたらす。
7.雹の災い(The plague of hail):エジプト人側だけに雹を降らせ、人、家畜、畑に被害をもたらす。
8.いなごの災い(The plague of locusts):いなごを大発生させ、雹を免れた草木や木の実も食べ尽くし、緑の物を全てなくす。
9.暗闇の災い(The plague of darkness):エジプト人側だけ3日間、暗闇に覆い、互いに見ることも立ち上がることも出来なくする。
10.初子の災い(The plague on the firstborn):エジプト人と彼らの家畜の長子を皆殺す。
最後の10番目の災いが下されて、やっと王は「イスラエル民族」を手放します。
ヨセフの家族、イスラエルの民がカナンの飢饉を逃れてエジプト移住してきて以来、既に430年が経っていたと言われています。
モーセの海割り/Crossing of the Red Sea
さて、イスラエル人たちはモーセに率いられて「エジプト」を脱出します。
ところが、ここにきてまだ懲りないエジプト王。
奴隷たちが居なくなってしまうのがよっぽど惜しかったらしく、奪い返そうとまたもや彼らを追っかけてきて、とうとうイスラエル人たちは「紅海」の海辺とエジプト軍の板挟みに!
恐れたイスラエルの民たちは文句を言い始めます。
(*後々、同じような「文句」を多々聞くようになります。)
<出エジプト記第14章>
11 かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
11 They said to Moses, “Was it because there were no graves in Egypt that you brought us to the desert to die? What have you done to us by bringing us out of Egypt?12 わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。
12 Didn’t we say to you in Egypt, ‘Leave us alone; let us serve the Egyptians’? It would have been better for us to serve the Egyptians than to die in the desert!”
「エジプト」で奴隷だった方がましだと言い始めるイスラエルの民たち。
そこであのシーンです。神から
<出エジプト記第14章>
16 あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。
16 Raise your staff and stretch out your hand over the sea to divide the water so that the Israelites can go through the sea on dry ground.
モーセは神に命じられたとおり、海の上に手を差し伸ばしました。
すると、海が真っ二つに分かれて、イスラエルの民はその間の乾いた地面を渡って逃げることができたのです。
一方、イスラエルの民が渡りきり、エジプト軍が「よーし、俺たちも!」と跡を追うと海の水は元に戻り、軍隊は水に飲まれてしまいました。
見事に「紅海」を渡ったイスラエル民族は、荒野に入り、目指したのは約束の地「カナン」。
ところが、ここからイスラエルの民の不平不満、不信仰が次々と重なり、その罪として40年も荒野を放浪する運命へ。。。
シナイ山で十戒が与えられる
イスラエルの民たちは、シナイ山のふもとまでやって来ました。(地図は伝統的解釈のシナイ山)
そこで、神はモーセにイスラエルの民に「律法を受ける準備」をさせ、3日後に神自らが彼らの前で呼びかけます。
これは、神が約束の地「カナン地方」へ彼らが入る前に、自分達で正しく生きていけるように「律法」を与えたと言われています。
出エジプト記20章より
2 「わたしは、あなたをエジプトの奴隷生活から救い出した、あなたの神、主である。
2“I am the Lord your God, who brought you out of Egypt, out of the land of slavery.3 わたしのほかに、どんなものも神として拝んではならない。
3 “You shall have no other gods before me.4 決して偶像を造ってはならない。鳥でも動物でも魚でも、どんな像も造ってはならない。
4 “You shall not make for yourself an image in the form of anything in heaven above or on the earth beneath or in the waters below.
(以下省略)
「イスラエルの民」が神の声を聞いた後、神はモーセだけを山に呼んで40日、40夜そこに留まらせ、全ての律法と裁きを授けます。
12 ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。
12 The Lord said to Moses, “Come up to me on the mountain and stay here, and I will give you the tablets of stone with the law and commandments I have written for their instruction.”13 そこでモーセは従者ヨシュアと共に立ちあがり、モーセは神の山に登った。
13 Then Moses set out with Joshua his aide, and Moses went up on the mountain of God.18 モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。
18 Then Moses entered the cloud as he went on up the mountain. And he stayed on the mountain forty days and forty nights.出エジプト記24章
そして神が全てを語り終えた時、石板2枚が与えられます。この内容は出エジプト記31章に書かれています。
18 こうして神は、シナイ山でモーセと話し終え、彼に二枚の石板を与えました。その板には、神の指で書かれた十戒が記されていました。
18 When the Lord finished speaking to Moses on Mount Sinai, he gave him the two tablets of the covenant law, the tablets of stone inscribed by the finger of God.出エジプト記31章
実は、ここで与えられた最初の「石板」はモーセが叩きつけて壊してしまいます。
何でまた?
イスラエルの民の不信仰、金の子牛の偶像崇拝
先に、神から授かった石板をモーセが壊してしまうと書きました。
一体、何が起こったのでしょう?
モーセが40日40夜の断食で神から律法の教えを授かり、石板2枚を持って山から降りると
リーダーの不在が不安になったイスラエルの民は、モーセの相棒(兄)であり、神の言葉を伝える預言者アロンに頼んで「金の子牛の像」を造り、それを偶像として拝み始めていたのです。
その様子が出エジプト記32章19節に書かれています。
19 モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。
19 When Moses approached the camp and saw the calf and the dancing, his anger burned and he threw the tablets out of his hands, breaking them to pieces at the foot of the mountain.
その後、モーセは神の許しを得るために自分の命と引き換えに再び山に登り、許しを得るまで40日間祈り続けます。(出エジプト記32、33章・申命記9章)
モーセの願いを聞き入れ、イスラエルの民に再度チャンスを与えた神は、再度契約を結ぶためにモーセを呼びます。
34章1 主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。
34 The Lord said to Moses, “Chisel out two stone tablets like the first ones, and I will write on them the words that were on the first tablets, which you broke.27 また主はモーセに言われた、「これらの言葉を書きしるしなさい。わたしはこれらの言葉に基いて、あなたおよびイスラエルと契約を結んだからである」。
27 Then the Lord said to Moses, “Write down these words, for in accordance with these words I have made a covenant with you and with Israel.”28 モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十誡を板の上に書いた。
28 Moses was there with the Lord forty days and forty nights without eating bread or drinking water.And he wrote on the tablets the words of the covenant—the Ten Commandments.出エジプト記34章
つまり、最初の40日断食後に授かった石板は、イスラエルの民の「偶像崇拝」と言う不信仰で打ち砕かれ、「契約破棄」。
怒り浸透の神は「イスラエルの民」を滅ぼすと言っていたのを、モーセの命懸けの40日の祈りで許す。(偶像崇拝した人たちは裁かれました)
その後、再契約の為にまたモーセを山に呼び寄せ、同じく40日の断食で今度はモーセが「石板」に十戒を書いたと言う経緯です。
モーセの幕屋
モーセがシナイ山で神から律法を授かっている時に「幕屋の建て方」も教わりました。
同時に、アロンとその子たちを「司祭」としての職に任命するよう指示を受けました。
2度目の石板を持ち帰って来た後に、モーセは民たちに神からの律法をつげ、幕屋を建設、アロンに着せる司祭の衣も作り始めました。
それを復元したのが「ティムナ渓谷公園」にある「モーセの幕屋(会見の天幕)」で実物大レプリカです。移動可能な幕屋を下敷きにしたものだそうです。
ティムナ渓谷の位置です。
イスラエル南部のアラバ南西の、アカバ湾及びアカバ湾に面する都市エイラートより北へ約30km離れた場所にあります。
この幕屋は聖書をもとに再現されていて、祭壇やアロンが身につけた大祭司、子供たちの司祭の衣服も展示されています。
詳しいサイトはこちら(英語版)/Timna Park Tabernacle Replica
日本の教会の方が実際に訪問され、モーセの幕屋だけでなく、逃亡していたミディアン側近くのアカバ湾(紅海へつながる)、荒野など分かりやすい地形付きで説明してくれた動画を紹介します。見るとモーセの出エジプト中の荒野のイメージなど教養が身に付く内容です。
(ティムナ公園のモーセの幕屋の説明と動画は2分30秒あたり)
イスラエルの民の重なる不信仰、荒野で40日の放浪の罪
ここまでの「イスラエルの民」と「神」との契約の印、十戒が与えられた内容までが「出エジプト記」です。
次は「民数記(Numbers)」に書かれていて「シナイ」を出発して約束の地「カナン」を目指して荒野を進む物語です。
エジプトを出て13ヶ月目。彼らはシナイを出発しました。(民数記10章)
ところが、またイスラエルの民の不信仰が再発しまくります。ことごとく何かあるたびに文句を言い、モーセを困らせます。(民数記11章)
民数記11章から抜粋します。
4 また彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、「ああ、肉が食べたい。
4 The rabble with them began to crave other food,and again the Israelites started wailing and said, “If only we had meat to eat!5 われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。
5 We remember the fish we ate in Egypt at no cost—also the cucumbers, melons, leeks, onions and garlic.6 しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。
6But now we have lost our appetite; we never see anything but this manna!”民数記11章
せっかくエジプトの過酷な奴隷生活から救われたにも関わらず、何度も「エジプトが良かった」と口にするイスラエルの民。
文句ばっかり言われて音を上げそうになる「モーセ」を励まし続ける神。
40日の放浪の罪が下る
エジプトを出て約2年の放浪の間、色々ありながらもやっと「カデシ(カデシュ)Kadesh Barnera」と言う所までやってきました。
👆カデシ(カデシュ)の位置?
ここでまたカデシの場所についての議論があります。
聖書に「パラン荒野のカデシ」、
一方で「チン(ツィン)荒野のカデシ」と言う2つの違う荒野での記述があるため、歴史家を困惑させているのです。
まず、「パラン荒野のカデシ」は、モーセが「カデシ」から「カナン地方」に偵察隊を送るときに登場する表現です。
<パラン荒野のカデシ表現>
3 モーセは主の命にしたがって、パランの荒野から彼らをつかわした。
3 So at the Lord’s command Moses sent them out from the Desert of Paran.
(民数記13章)
26 そして、パランの荒野にあるカデシにいたモーセとアロン、およびイスラエルの人々の全会衆のもとに行って、彼らと全会衆とに復命し、その地のくだものを彼らに見せた。
26 They came back to Moses and Aaron and the whole Israelite community at Kadesh in the Desert of Paran.
(民数記13−26)
一部の地図では、「カデシ」が既に「約束の地カナン」に含まれているからそこではないとか。。。
次は、チン(ツィン)の荒野のカデシ表現です。最初にカナン地方に偵察隊を送った後に月日を経て、再度「カデシ」にやってくる時の表現で、今度は「パラン荒野」ではなく、「チンの荒野」になっているのです。
1イスラエルの人々の全会衆は正月になってチンの荒野にはいった。そして民はカデシにとどまったが、ミリアムがそこで死んだので、彼女をそこに葬った。
In the first month the whole Israelite community arrived at the Desert of Zin, and they stayed at Kadesh.There Miriam died and was buried.
(民数記20−1)
14 ……..これはチンの荒野にあるカデシのメリバの水である。
These were the waters of Meribah Kadesh, in the Desert of Zin.
(民数記27章)
8 あなたがたの先祖も、わたしがカデシ・バルネアから、その地を見るためにつかわした時に、同じようなことをした。
8 This is what your fathers did when I sent them from Kadesh Barnea to look over the land.(民数記32章)
と言うことですが、別の見解として、パラン荒野とチン荒野は隣同士で、チンの荒野もパラン荒野の一部として捉えられた?はたまた「カデシ」がその両方にまたがっていた?
これも専門家に任せて、あくまでも聖書での表現のまま地図を紹介します。(先に進む前に少しこれを頭に入れておいて下さいね。)
話を戻しまして、いよいよ約束の地、カナンの入口と言われる「カデシ」まで辿り着いた時、モーセは神の指示で「カナン地方」に偵察隊を送ることになります。
<民数記13章>
主はモーセに言われた、
2 「人をつかわして、わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせなさい。すなわち、その父祖の部族ごとに、すべて彼らのうちのつかさたる者ひとりずつをつかわしなさい」。
The Lord said to Moses, 2 “Send some men to explore the land of Canaan, which I am giving to the Israelites. From each ancestral tribe send one of its leaders.”
モーセは、神の指示通り、イスラエルの12人の頭たちをカナン地方に派遣しました。
40日後に帰ってきた12人の頭たちからの報告は、
👍良いニュース→「そこはまことに乳と蜜の流れている地」
27 彼らはモーセに言った、「わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこはまことに乳と蜜の流れている地です。これはそのくだものです。
27 They gave Moses this account: “We went into the land to which you sent us, and it does flow with milk and honey! Here is its fruit.
(民数記13章)
👎悪いニュース→「非常に強そうな民族たちが城壁を堅固にして住んでいる。
28 しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました。
28 But the people who live there are powerful, and the cities are fortified and very large. We even saw descendants of Anak there.(民数記13章)
ここから運命の分かれ道。
12人の頭のうち、ユダ族のカレブとエフライム族のヨシュアの二人は、神が与えてくれる土地だから信じて攻め入ろう派、残りは皆反対派。
そして遂に「イスラエルの民たち」は、神の怒り最高潮に達する言葉をまた言ってしまうのです。
2 …またイスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会衆は彼らに言った、「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。
2 All the Israelites grumbled against Moses and Aaron, and the whole assembly said to them, “If only we had died in Egypt! Or in this wilderness!3 なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。
3 Why is the Lord bringing us to this land only to let us fall by the sword? Our wives and children will be taken as plunder. Wouldn’t it be better for us to go back to Egypt?”4 彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。
4 And they said to each other, “We should choose a leader and go back to Egypt.”民数記14章
このように文句を言った挙げ句の果て、「神に背かず、信じて敵を恐れずにカナンの地へ入ろう」と訴えるカレブとヨシュアを殺そうとしました。
そこへ怒り浸透の神!
11 主はモーセに言われた、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか。
11 The Lord said to Moses, “How long will these people treat me with contempt? How long will they refuse to believe in me, in spite of all the signs I have performed among them?12 わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」。
12 I will strike them down with a plague and destroy them, but I will make you into a nation greater and stronger than they.”<民数記14章>
彼らを疫病で滅ぼして、代わりに「モーセ」の子孫に契約を託そうとするのですが、またもや「モーセ」の説得で民は滅ぼされずに救われます。
少し長くなりますが、モーセのいつもながらの精一杯の神へのお願いの言葉がどんなものか、紹介します。
13 モーセは主に言った、「エジプトびとは、あなたが力をもって、この民を彼らのうちから導き出されたことを聞いて、
13 Moses said to the Lord, “Then the Egyptians will hear about it! By your power you brought these people up from among them.14 この地の住民に告げるでしょう。彼らは、主なるあなたが、この民のうちにおられ、主なるあなたが、まのあたり現れ、あなたの雲が、彼らの上にとどまり、昼は雲の柱のうちに、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前に行かれるのを聞いたのです。
14 And they will tell the inhabitants of this land about it. They have already heard that you, Lord, are with these people and that you, Lord, have been seen face to face, that your cloud stays over them, and that you go before them in a pillar of cloud by day and a pillar of fire by night.15 いま、もし、あなたがこの民をひとり残らず殺されるならば、あなたのことを聞いた国民は語って、
15 If you put all these people to death, leaving none alive, the nations who have heard this report about you will say,16 『主は与えると誓った地に、この民を導き入れることができなかったため、彼らを荒野で殺したのだ』と言うでしょう。
16 ‘The Lord was not able to bring these people into the land he promised them on oath, so he slaughtered them in the wildernes17 どうぞ、あなたが約束されたように、いま主の大いなる力を現してください。
17 “Now may the Lord’s strength be displayed, just as you have declared:18 あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。
18 ‘The Lord is slow to anger, abounding in love and forgiving sin and rebellion. Yet he does not leave the guilty unpunished; he punishes the children for the sin of the parents to the third and fourth generation.’19 どうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた、今にいたるまで、この民をゆるされたように、この民の罪をおゆるしください」。
19 In accordance with your great love, forgive the sin of these people, just as you have pardoned them from the time they left Egypt until now.”民数記14章
すごいです。自分を偉大にするのではなく、文句言いのイスラエルの民たちをかばい続けるのです。
神はモーセの言う通り、民を滅ぼすことはせず、罪として以下の事が告げられました。
*「カレブ」と「ヨシュア」以外は「約束の地カナン」に入れない。
*民が自分達で願ったように彼らはこの荒野で倒れる。
*その民の死体が荒野で朽ち果てるまで40年、彼らの子供たちは羊飼として罪を負う。
*カナン偵察期間の40日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負う。
こうして「カナンの地」目前にして彼らは「40年の荒野放浪」に突入してしまいます。
この40年と言うのは、エジプトで奴隷だった「古い世代」が亡くなり、「新しい世代」へ交代する年月と言われています。
モーセも罪を犯す
38年の月日がたち、彼らは再び「カデシ」にやってきました。
「カナン地方の入り口」に再びやってきたわけです。
(今度の場所の表現は「チンの荒野」となっています。)ここで、モーセとアロンの姉であり、かつ女預言者であったミリアムが亡くなります。
イスラエルの人々の全会衆は正月になってチンの荒野にはいった。そして民はカデシにとどまったが、ミリアムがそこで死んだので、彼女をそこに葬った。
In the first month the whole Israelite community arrived at the Desert of Zin, and they stayed at Kadesh. There Miriam died and was buried.(民数記20章ー1)
イスラエルの民は、エジプト奴隷時代の古い世代だけでなく、「新しい世代」も引き続きかなり文句言いだったようです。
2 そのころ会衆は水が得られなかったため、相集まってモーセとアロンに迫った。
2 Now there was no water for the community, and the people gathered in opposition to Moses and Aaron.3 すなわち民はモーセと争って言った、「さきにわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。
3 They quarreled with Moses and said, “If only we had died when our brothers fell deadbefore the Lord!4 なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。
4 Why did you bring the Lord’s community into this wilderness, that we and our livestock should die here?5 どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」。
5 Why did you bring us up out of Egypt to this terrible place? It has no grain or figs, grapevines or pomegranates. And there is no water to drink!”民数記20章
「古い世代」が同じ場所(カデシ)で文句を言ったのと同じような事を「新しい世代」まで言ってしまったのです。
それでも神は「モーセ」と「アロン」に水を出すように命令します。
ところが、今度は「モーセ」(アロンも)が大失敗を犯してしまうのです。
二人とも今まで文句言いだらけの「イスラエルの民」をかばってきたのに、今度ばかしは堪忍袋の尾がきれたのでしょう。
神がモーセとアロンに指示したのは
8 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。
8 “Take the staff, and you and your brother Aaron gather the assembly together. Speak to that rock before their eyes and it will pour out its water. You will bring water out of the rock for the community so they and their livestock can drink.”(民数記20章)
モーセは命じられたようにつえを取りました。そして文句言い達に向かってこう言いました。
10 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。
10 He and Aaron gathered the assembly together in front of the rock and Moses said to them, “Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?”11 モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。
11 Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank.
民数記20章
モーセとアロンは「主が(神)」と言わずに「我々が」と言ってしまい、さらに神の杖で「岩に願う」ことをせずに「岩を2回叩く」と言う、独自のパフォーマンスをしてしまった。。。
これが何を意味するかというと、「主の栄光」を民に見せずに「自分達の力」のように振る舞ってしまったと言うこと。
この行為が「アロン」も「モーセ」もカナンの地に入ることを禁じられてしまい、生涯を終えてしまう事になります。
12 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」
12 But the Lord said to Moses and Aaron, “Because you did not trust in me enough to honor me as holyin the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.”民数記20章
「神の意志と力」をイスラエルの民に表す役割を担わされた「モーセ」と「アロン」でしたが、彼らを「カナンの土地」へ率いるリーダーの責務が問われたのでした。
エドム王に行く手を遮られる
その後、モーセは「カデシ」からエドム王に使者をつかわし、通過の許可を依頼しますが頑なに拒否されてしまい、仕方なく「ホル山」に向かいます。
アロン「ホル山」で123歳の生涯を終える
アロンはこの「ホル山」で亡くなります。
123歳でした。
(*アロンはユダヤ教の初代司教)
アロンの墓/Tomb of Aaron
「ホル山」は、現在のヨルダンにあるペトロ遺跡近く、ジャバル・ハルーン(Jabal Harun)と呼ばれ、実際に「アロンの墓」が頂上にあります。
今は、14世紀に建てられたイスラム教のモスクとなっています。
ところが、もともとそこには5 世紀後半にキリスト教会と礼拝堂が建てられていたと言うことが20世紀の考古学発掘者より結論づけされているようです。
ウエブサイト”Mount Hor-Jabal Haroun”より要約すると、
*20 世紀初頭に、この山 の頂上での考古学的調査により、これ以前に初期のキリスト教会が存在した証拠が発見されました。 (Peterman and Schick 1996: 475-77)。 同時に山頂のすぐ下と西にある台地にある修道院群の遺跡も調査しました。
*フィンランドのジャバル ハロウン プロジェクト (FJHP) が複合施設を発掘し、教会、チャペル、およびホステルを含む関連する区画で構成されていることを確認しました。 教会が聖アーロンに捧げられたという証拠を発見しました。
👆情報
ヨルダンは宗教の自由を求めていますが、アーロンの墓をモスクと見なし、その場所でのユダヤ人の礼拝を禁止しています。
ところが、2019 年 8 月、イスラエル人観光客(ユダヤ教徒)のグループが、サイトでトーラー(Torah)の巻物を持って踊っているビデオがネットに。。それを受けて急遽閉鎖される事態が起きました。
その時の記事とテレビ放送が下記のサイトです。↓
“ヨルダン、アロンの墓を閉鎖後再開へ”(Jordan to reopen Aaron’s tomb after closure over alleged...)
ユダヤ教徒は、この場所を「アロンの墓」と認めていない派もいます。
「アロンを尊敬する司祭」とする気持ちは同じなのに、「認める、認めない」が根本に存在する以上、なかなか和解するのは困難か。。。
アロンも悲しんでいるに違いない。。。と思う私です。
アロンの死後も、モーセは神の導きのもと、イスラエルの民を率いてカナン地方を目指します。
「ケデモト」に到着すると、アモリ人の王である「シホン王」に使者を送り、彼の領土を通過させてほしいとお願いします。
ところが、シホン王は拒否し「ヤハズ」でイスラエル人を攻撃します。
イスラエル人はアモリ人を打ち負かし、北モアブの「アルノン川」から「ヤボク川」までの土地を占領します。 (民数記 21:21-24)
更にイスラエル人が北に移動し続けると、「バシャンのオグ王」は「エドレイ」で戦いを挑んできます。
イスラエル人は勝利し、アルノン川からヘルモン山までのギレアデとバシャンの全土を占領しました。 (民数記 21:25-35)
「モーセ」ピスガ山で生涯を終える
その後、「モーセ」は、死期にさしかかります。
モーセは神からの罪(岩を2回叩いて水を出した)として、自分がイスラエルの民を率いて「カナンの地」へ入れないことを承知しています。
死ぬ前に後継者を選ぶ必要がありました。
ヨシュアを後継者にする
今までも忠実な従者として支えてきた「ヨシュア(Joshua)」が選ばれました。
18 主はモーセに言われた、「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、
18 So the Lord said to Moses, “Take Joshua son of Nun, a man in whom is the spirit of leadership, and lay your hand on him.19 彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、彼らの前で職に任じなさい。
19 Have him stand before Eleazar the priest and the entire assembly and commission him in their presence.20 そして彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい。
20 Give him some of your authority so the whole Israelite community will obey him.民数記27章
そして、神に従ってモーセを呼びます。その時に語りかけた内容が「申命記」書かれています。
7 ここで、モーセはヨシュアを呼び、イスラエル全国民の前で命じました。「心を強くもち、勇敢にふるまいなさい。あなたに、約束の地へ民を導き入れる務めを与えよう。そこを征服するのを見届けなさい。
7 Then Moses summoned Joshua and said to him in the presence of all Israel, “Be strong and courageous, for you must go with this people into the land that the Lord swore to their ancestors to give them, and you must divide it among them as their inheritance.申命記31章
そして、最後にもう1度、イスラエルの民に、神から与えられた契約の内容を確認させます。(申命記31章)
モーセの最期
その後、モーセは神の指示通り、ネボ山に登り「ピスガ」の頂上に着きました。
「カナンの地」はすぐそばです。
申命記34章に記載されている内容は、
34.1 モーセはモアブ平原から、エリコの向かいにあるネボ山に登り、ピスガの頂に立ちました。主に示されるままに約束の地を眺めると、ギルアデのずっと向こう、はるかかなたのダンまで見渡せます。
34.1 Then Moses climbed Mount Nebo from the plains of Moab to the top of Pisgah, across from Jericho. There the Lord showed him the whole land—from Gilead to Dan,
神は最後にモーセに「カナンの地」を見せてあげたのです。
4 主はモーセに語りました。「これが約束の地、いつか子孫にこの地を与えると、アブラハム、イサク、ヤコブに約束した地だ。あなたは今ようやくその国を見た。しかし、入ることは絶対に許されない。」
4 Then the Lord said to him, “This is the land I promised on oath to Abraham, Isaac and Jacob when I said, ‘I will give itto your descendants.’ I have let you see it with your eyes, but you will not cross over into it.”
岩を叩く失敗さえしなかったら。。。あんなに苦労してイスラエルの民を率いて「カナンの地」まであと一歩!で生涯を閉じる。。。
「カナンの地」を眺めるモーセの姿を思い浮かべると胸が締め付けられそうになりますが、最後に「カナンの地」を一望できた事は、ヨシュアにその後待っている「戦い」を引き継いで、やっと一息つけるいいタイミングだったのかもしれません。
こうしてモーセは120歳の生涯を終え、神はモアブのベテ・ペオルの近くの谷に葬りました。(正確な場所は不明です)
また、イスラエル人は30日間、モアブ平原で喪に服しました。
巡礼の地「ネボ山」
ネボ山には、モーセの死を偲び4世紀後半に建てられた「教会」と「修道院」の遺跡があり、その場所に遺跡を保存する「モーセ記念聖堂」が建てられています。
<Moses’ Memorial Church>
「モーセ記念聖堂(教会)」
<The Brazen Serpent Monument>
展望台の近くには「青銅の蛇の像」があります。イタリアの芸術家ジョヴァンニ ファントーニによって作成されました。
これを象徴する内容が、「民数記21章」に登場します。
アロンが「ホル山」で亡くなり、その後旅を続けるイスラエルの民たちがまた文句を言いました。
そこで怒り浸透の神が、火の蛇を送って噛ませ多くの人が亡くなり、罪を認めて助けを求めた民に神がモーセに指示したのがこの「さおの上にかけた青銅の蛇」だったのです。
8 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
8 The Lord said to Moses, “Make a snake and put it up on a pole; anyone who is bitten can look at it and live.”9 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。
9 So Moses made a bronze snake and put it up on a pole. Then when anyone was bitten by a snake and looked at the bronze snake, they lived.民数記21章
荒野でモーセによって作られた青銅の蛇 (民数記 21:4–9) と、イエスが十字架にかけられた十字架 (ヨハネ 3:14) を象徴しているとも言われています。
*2000年 3 月 20 日、教皇ヨハネ パウロ 2 世は、聖地への巡礼中にこの場所を訪れました。
*2009年、 教皇ベネディクト 16 世も訪れ、スピーチを行い、山の頂上からエルサレムの方向を眺めました。
「ヨシュア」率いるイスラエルの民
さて、モーセの死後、約束の地、カナンはどうなったか?
後を担った「ヨシュア」によってイスラエルの民たちは「カナンの地」へ入っていきます。
よく知られている「ジュリコの戦い」その後の「アイの戦い」を制し、次々と王たちを倒して全カナンを制覇します。
その後、イスラエル12の部族で土地を分配し定住するのでした。
カナンの地を巡っての戦い、侵略?
聖書を読んだだけでは、ヨシュア率いる「カナンの地」を巡っては、何だか今でも起こっている「侵略戦争」のように思いますが、なぜ、神が「カナンの地」での戦いをサポートしたのか?
これは、神による裁きでした。そこに住んでいた人たちが不信仰だったからだと言われています。
「偶像崇拝」に「性的犯罪」さらには「子供を生贄」にするなど。。。
具体的に詩篇に記載されています。
*子どもを殺して偶像への生贄にする(イザヤ書57:5, II列王記17:17)
*偶像崇拝に儀式的な売春や淫行を行って捧げる(エレミヤ書13:27)
*偶像に儀式的な同姓売春や淫行を捧げる(I 列王記15:12, 22:46 / II 列王記23:7)
*社会的暴力の散乱(エゼキエル書45:9 / イザヤ書59:6-10)
これらは歴史的に証明されていて、実際にその土地を発掘した考古学者は偶像バアルなどに捧げた子供の遺骨を発掘しています。
聖書を単純にその言葉だけで読むと、神が「イスラエルの民」に「カナンの地」を与えると契約したから「他の部族」を追い出して「侵略」しているように誤解しかねません。
更には「暴力と征服」を正当化するために「宗教を利用する人々」がいる事も事実。
そうではなく、そもそもの根本は、当時の悪質な偶像崇拝、および文化的慣習を終わらせることだったのです。
まとめ
「モーセの十戒」がユダヤ教の原点であり,「預言者モーセ」をキリスト教徒、イスラム教徒も尊敬しています。
モーセ 自身がイスラエル人(ユダヤ人)であり、エジプトの王子として優れた教育を受け、両方の言語を話し、荒野で(羊飼いとして)多くの経験を持ちました。
人々はさまざまな場面でモーセを侮辱し、彼のリーダーシップを受け入れず、彼らの苦難の責任をモーセに負わせました。
それにもかかわらず、彼は彼らに代わって神に懇願しました。
ひどい仕打ちをした人の事も祈る行為、これぞ「愛」だ!そして一番困難な事だ。。。
「アロンの墓」を巡ってのイスラム教モスクでのユダヤ人の宗教儀式事件と言い、「モーセ」さん、今どんな思いで世の中を見ているのだろうか。。。